先日、ニュースでも発表されましたが2025年の大学入試(共通テスト)において情報が新しくい科目として正式に追加されました。

朝日新聞:共通テストでの「情報」追加を正式決定 2025年から

今の中学3年生が大学受験をする際に本格的に情報が入るということになります。
また同時に「英語の民間テストの利用」と「一部の筆記試験」は正式に見送られたようです。

そもそも大学入試の変更においては、

〇高校・大学教育を探究的な学びにする
〇「思考・判断・表現」の力を問う
〇英語の「書く・話す」力をテストする

という3つの柱がありました。文科省としては、「探究は進んだが、他の二つは、まだまだ」という認識のようです。

今年の共通テストを見てみないと判断は難しいのですが、大手模試メーカーも、これらに右往左往しており、
今年の模試の結果はほぼ信用出来ません。それどころか、ある模試メーカーの方から聞くと、今年はマーク式の方が記述より平均点が低いことがあったり、試験を作る若手(と表現されてましたが)が言葉じりで引っ掛けるような問題に走りがちで、真の目的である「学力を測る」という部分が弱くなっているという話もされていました。

またある予備校においては、共通テストの英語は、ほぼ対策など無意味なので最初から二次対策をしていると教えてくれたところも。

開進は現役生のみですので、共テを無視するわけにはいきませんが、予備校になると「合格」の観点から努力に比例して点数が出る二次にとなるのは分からなくもありません。

ともかく、まだまだ入試制度はガタガタしそうな気がします。

そもそも大学入試改革ですが、なぜこんな風になったかと一言で言えば、私は、日本のテストを国際基準に合わせるためだろうと思っています。

日本は、科挙制度の延長のテストですが(韓国、台湾、中国も同じ)しかし多くの他国はそうではありません。
国際的に通用する学生を作るためには、国際基準での試験が必要ということだったのだと私は認識しています。
そう考えると情報などは、日本は遅い方で他国では既に実施されています。

国際基準に合わせるということは、一言でいうと「頭が良い」という意味の定義が変わりつつあるということでもあります。

本当の「頭のよさ」は学力ではない。脳科学者・心理学者・教育者の答え

このような記事もありますが、勉強しなくても良いという意味ではありません。

これは大学教授とかと話をしてもよく出る話ですが、そもそも高校生までの勉強というのは、既に答えがあるものを如何に早く導くか!というパズル脳なのに対し、大学は本来、研究機関ですから「オタク脳」でなければついていけません。この記事では、それを、

〇知的好奇心が旺盛である
〇物事を論理的に考えることができる
〇自分で課題を見つける粘り強さがある
〇物事を多面的にとらえる柔らかい思考をもっている
〇生きるために必要な力がしっかりと身についている

などと書いています。これが正しいかどうかは横に置いても、少なくとも知識一辺倒ではなくなっているというのは事実のようです。

細かい話は来年度の春くらいに資料を揃えて説明会にてお話をしようと思っております。